梅園身代り天満宮

長崎県長崎市丸山町2

撮影日:2010年02月24日

身代り天神で有名な梅園身代り天満宮

 祭 神
 菅原達真公(正殿)
 宇賀御魂神(稲荷社)
創 建
 元禄13年(1700)
所 在
 肥前國彼杵郡長崎村小鳥郷
現在地
 長崎県長崎市丸山町2番地20号

お社のいもれ
 ここの天満宮は元禄13年(1700)丸山町乙名安田治右衛門によって創建され、以降丸山町の氏神様として親しまれています。
 元禄六年(1693)安田治右衛門が二重門(現丸山交番附近)にて梅野五郎左衛門に襲われました。そして、自邸に担ぎ込まれたが不思議なことにどこにも傷が無く、身代りに庭の天神様が血を流して倒れていたそうです。その後、この天神様を身代り天神と呼ぶようになりました。

 そのほか明和安永年間(1770頃)より、この場所は長崎奉行の許しにより芝居や見世物、相撲等の興行が行われるようになり、また、花街に接しているところから遊女や芸者きんが多く参拝していました。さらに明治31年(1898)社殿大改修の際には文人墨客により天井絵を奉納されています。
 また、第二次大戦時、丸山町の出征を命ぜられた者は必ず参拝したそうですが、身代り天神によりすべて無事に帰還したそうです。

祭 事
     節分祭  二月 三日
     天満宮祭 十一月第二日曜日

 
愛 八

 大正から昭和初期にかけて、長崎芸妓の名を全国的にひろめた丸山の名芸妓。映画「長崎ぶらぶら節」では、長崎学の祖といわれる古賀十二郎とともに長崎に眠る民謡を探す旅に出かけ、名曲「長崎ぶらぶら節」と出会います。

 愛八は、明治7年(1874)、長崎県西彼杵郡日見村(現在の網場町)で生まれ、17歳の時、丸山町の末石方より愛次の妹としてお披露目しました。
 長唄に、清元に、常磐津に、端唄にと、姉さん芸者も驚くほど、稽古熱心で、天分の美声にさらに磨きをかけました。また、大の相撲好きで、木戸御免の扱いを受けるほどでした。
 梅園身代り天満宮は、昔から心や身体の悩みまで身代わりになってくれるといわれていて、愛八さんもよく参拝していたそうです。愛八は、情に厚くお金に困った人などに惜しみなく援助をしていました。

古賀十二郎

 古賀十二郎は、長崎学の基礎を築いた郷土史家です。長崎市本五島町の旧黒田蒲御用達・古賀家に生まれました。明治28年(1895)、長崎市立商業学校を首席で卒業。

 商業学校時代、菅沼貞風の「大日本商業史」等を読んで、深く心を打たれ、長崎の対外交渉史の研究に生涯をかけることを決意しました。商業学校を卒業後、東京外国語学校に学んだ後に長崎に帰り、長崎の歴史研究に没頭し生涯を研究に捧げました。
「長崎市史・風俗編」「長崎洋学史」などの著書のほか第一期の長崎史談会を組織しました。





 身代り天神で有名な梅園身代り天満宮の本殿です。向かって左側の狛犬なのですが、黒く焼けているので、誰かのいたずらなのか?しかも、口の中には飴がいっぱい詰め込んであったので、ちょっと、不愉快になりました。が、後で、調べるとなぁ〜んだ!と思ってしまいました。
知ってれば、雨を持ってくるんだったと思いました。
本殿右側には、梅の種がたくさんある場所がありましたが、最初なんだろう!と写真を撮るのをやめてしまいましたが、これも、後で調べて見ると「梅塚」梅の玉垣だということが分かって、またまた、撮り損ねてしまいました。前もって調べてこないといけないと、毎回、反省しているんだけどね。

【梅塚】 梅の玉垣

 梅園身代り天満宮には、明治40年頃まで、丸山の遊女や芸者衆が多く参詣していました。
「身代り」「みだい」とよび、自分たちの生活に苦労が無いことをお願いして参詣していました。彼女等は、自分の家で食べた梅干の種を、天神様と呼び、わざわざ持って来ていました。


歯痛狛犬

 虫歯のある人がこの狛犬に飴を食べさせると、不思議に痛みがとまるご利益があるそうです。口の中には飴がいっぱい入っていました。

御神牛(撫で牛)

 菅原道真公と牛の関係は道真公が承和12年(845)乙丑生まれということと大宰府で亡くなれた時、延喜3年(903)御遺骸を牛馬に載せて運んだところ都府楼から北東(うしとら)の方角で、その牛が伏して動かなくなったということ(その場所が太宰府天満宮の始まりとなる)また、天神信仰は、初め農耕の神として発展したことや、牛が農耕のシンボル的存在だったことも、大きく関係しています。

 梅園天満宮の御神牛は、氏子である楠本氏によって、大正12年(1923)に青銅製の御神牛を奉納されましたが、第二次大戦により供出されました。その後、昭和27年(1952)に一体(社殿左)と、ここにある昭和41年(1966)に奉納されたものがあります。
御神牛と自分の身体をお互いに撫でさすれば身体健全病気全快するといわれ、頭部を撫でると知恵がつくということです。  平成13年(2001)2月設置






旅 程 (長崎さるく)  食事
2/24
(水)
晴れ 9:40長崎と龍馬 臨時駐車場(シャトルバス)---長崎歴史文化博物館(長崎奉行所 龍馬伝館)9:48---シャトルバス11:30---中央橋バス停11:38---海援隊発祥の地 土佐商会跡11:39---長崎まちなか龍馬館11:44---ドン・シューズ12:11---723長崎大水害水位12:22---龍馬通り12:38---近藤長次郎12:40---長崎先人の墓12:44---陸奥宗光12:44---沢村惣之丞12:46---長岡謙吉12:50---中島信行12:57---龍馬茶店12:58---亀山社中の跡(記念館)12:59---龍馬のぶーつ像13:00---亀山社中の跡(記念館)13:09---良林亭跡13:26---亀山社中資料展示場13:26---若宮稲荷神社13:45---龍馬通りへ13:53---風頭公園14:10---風頭大権現14:20---上野彦馬の墓14:22---風頭公園(坂本龍馬象)14:24---上野彦馬の墓14:26---風頭公園展望14:29---龍馬通りへ14:38---玉川亭跡14:49---木下逸雲宅跡14:50---高麗橋と伊勢宮14:51---倉田水樋水源跡14:53---上野彦馬宅跡14:55---上野撮影局と中島川14:58---長崎聖堂跡14:59---あみだばし15:01---古町橋15:17---光永寺(福沢諭吉)15:19---一覧橋15:22---芋原橋15:23---東新橋15:25---魚市橋15:27---眼鏡橋15:33---黙子如定の像15:34---袋橋15:37---中島川の成り立ち15:38---上野彦馬生誕地15:39---中央公園(ランタン会場)15:47---ミゼリコルディア本部跡15:50---小曾根邸15:51---海援隊発祥の地 土佐商会跡16:06---福砂屋16:20---山の口16:21---思切り橋・見返り柳16:21---丸山町交番16:23---寄合町遊郭16:25---丸山公園の龍馬銅像16:25---花月16:27---中の茶屋16:39---梅園身代り天満宮16:48---高島秋帆旧宅16:59---正覚寺17:10---オランダ坂17:16---料亭 青柳17:18---丸山本通りを望む17:19---高島秋帆旧宅17:22---丸山花街17:28---丸山公園の龍馬銅像17:29---浜市アーケード17:51---鐵橋17:58---湊公園会場(ランタン)18:40---長崎新地中華街18:28---眼鏡橋19:44---興福寺20:12---崇福寺20:45---中央橋バス停21:30---稲佐山展望21:50

     
     
     
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