福岡県久留米市草野町草野397-1
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■ 本寺の山門は、木造一層、切妻造、本瓦葺である。扉は二枚あるが一枚はくぐり戸であり 鬼瓦に有馬家の家紋の一つである釘抜門がみられ、旧久留米城の西の丸に築かれた「水の手御門」であると伝えられている。 明治4年(1871)の この門は、柱や扉の木割が太く、重厚な武家の建築として価値があり、また久留米城の数少ない遺構として貴重である。 |
■ 本寺は、天文元年(1532)草野家11代の城主、草野重永の二男永秀が剃髪、善宗と称し開基。以後世襲として現25世住職道一氏に至る。 本尊は、寺伝によると安土桃山時代、現八女郡上陽町上横山(もと上妻郡北河内村上横山)八重谷の里正、大坪重勝が石山合戦に参戦、その偉功として顕如上人から阿弥陀如来を賞与され、のち当山に奉納したものという。 内仏は、開基以来の阿弥陀如来(旧本尊)で九山木阿弥の作と伝えられる。 現本堂は、嘉永元年(1848)21世住職大解により正面八間、側面九間の入母屋造り、桟瓦葺、向拝三間を再建されたものである。 |